2011年3月20日日曜日

あれから6年

前の夜の事故で救急病院のベッドに寝かされていた僕は腰椎骨折により絶対安静を言い渡されていた。

ウトウトとしていた僕は激しく揺り起こされた。

気がつくとあちこちで悲鳴があがり、ベッド脇のロッカーは激しく動き回り今にも倒れてきそうだった。
絶対安静どころか自分の身の危険を感じロッカーが動かないように一生懸命押さえていた。

それは2005年3月20日、福岡県西方沖地震が発生した日だ。


幸いにして現在福岡市は被害の大きかった玄海島を含めほぼ復興しているといっていいだろう。
福岡に在住しているひとでも遠い記憶へと変わってしまっている方もいらっしゃるかもしれない。


あれから6年。あの時に必要とされたのは絆だったかもしれない。実行力かもしれない。

福岡県西方沖地震の調査・支援を通じて知り合った方々が異口同音に述べられた言葉は日々の生活の尊さであった。

恥ずかしながら僕は今日が3月20日であることをヨドバシカメラマルチメディア博多で思い出させてもらった。


朝陽は明日を信じるひとが見ることができるものだと思います。
彼岸に御先祖様に思いを馳せるのといっしょに自分の明日を想い描いてみるのもいいかもしれませんね。



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